マチュピチュ
失われた空中都市マチュピチュ   MENU
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インカ帝国の秘密都市、マチュピチュ。
旅人なら誰しも憧れるインカの石造遺跡へ、2001年に行くことができた。石造建造物マニアの私には夢だった場所に、とうとう来てしまった。

i:旅行情報 1:遺跡概要 2:宮殿写真 3:全景写真
写真が多いので4つに分かれています
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4205S



世界遺産 ペルー

登録基準:N-(ii)(iii) C-(i)(iii)  登録年:1983


クスコからウルバンバ川下流 114km、アンデス山中にマチュピチュはある。標高 2,280m、そしてなんと高さ400mの切り立った山の頂上にその遺跡はあり、下からは窺い知ることはできない。存在が上空からしか判らないことから、"空中都市"と言われる。
マチュピチュはかつてのインカ帝国の秘密都市。総面積5キロ平方で、そこに1万人が生活したといわれる。周囲は断崖絶壁、山麓はジャングルで、まさに自然の要塞だ。
峻険な山の頂に作られた石造建築は、南米屈指の観光名所。ユネスコ世界遺産にも登録されている。

(このほか石系で有名なものは、アンコール、バガン、ピラミッド、モアイ、ストーンヘンジ、グレートジンバブエなど、まだまだ魅力的な巨石遺跡はいっぱい。アンコール遺跡バガン遺跡については、← 私の別のサイトで紹介していますので是非ご覧ください。)




インカ帝国とマチュピチュ

インカ帝国は最盛期、北はエクアドル、南はチリやアルゼンチンまで領土を持っていた。南米大陸最強の帝国だったのである。
しかし、16世紀にスペインが上陸し、たった200名足らずの軍に、インカは脆くも敗れてしまう。
1536年 皇帝の血を引くマンコが抗戦を開始。本営はウルバンバ川沿いのオリャンタイタンボ。結果は敗戦。その後も戦いは続き、インカの王位は彼の息子 サイリ=トゥパック、そして トゥパック=アマル へと継承される。
トゥパック=アマル は、ゲリラ戦のために"高い山の頂"にインカ最後の秘密都市「ビルカバンバ」を築いた。地理的にもこれがマチュピチュとされる。
1572年 彼も抗戦に敗れ、とうとうインカ帝国は滅亡。しかしビルカバンバの場所は最後までスペインに知れることなく、インカの人々はその後も生き延びたとされる。


4213S マチュピチュの発見は、1911年。ハイラム=ビンガム(米・歴史学)によって発見される。しかしそこは廃墟。この400年の間に、インカの人々はマチュピチュを打ち捨て、姿を消していた。インカの黄金とともに。

※ これまでマチュピチュが秘密都市ビルカバンバと考えられていたが、近年の研究で、さらに奥地のエスピリトゥ=パンパではないかと言われる。
しかしマチュピチュは、スペインの破壊を受けていない唯一のインカの都市として、現在に多大な価値を残す遺跡に変わりない。

インカの黄金、そしてインカの人々はどこへ消えてしまったのだろう…。






4201S
市街の入口は、かつて両開きの扉だった


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入ってすぐ、宮殿の上の市街地


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アルパカのいる景色







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遠方にマチュピチュを望む


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段々畑のすぐ下は断崖絶壁


4115S
遠景だと、いかに場所がすごいか解りやすい





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家も畑も斜面に沿って規則正しく並ぶ


4136S
どうやって作ったのか不思議でしかたない





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計画的に建てられた要塞都市


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高台にある堅牢な居住区





インティワタナの丘



4109S
【インティワタナの丘】
遠方から丘を望む








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【インティワタナの丘】
マチュピチュの最高所には日時計が立っている


4130S
【インティワタナの丘】
丘の上の神殿にて(上にいるのは私です)




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写真が多いので4つに分かれています
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遺跡の解説とスナップ写真は以上です。次のページでは遺跡の主要な見所を紹介しています。[翌日→]を押して次へ進んでください。
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